すかるのBlog

好きなケインはコスギです

言語化への挑戦

遅かれ早かれ配信で聞かれそうな気がするので、
「Blog読んでくれ」と切り返せるように記事にまとめておきます。



人には好きと嫌いがあります。
そして好きだけで成り立たないのが人生です。
ありとあらゆる富や名誉を欲しいままにした世界的大富豪にだって嫌いなものは存在し、
その存在を完全に排除することは出来ないのです。
だから人はその嫌いなものと上手く付き合いながら生きていく必要があるのです。

私は他人に関心が向かない人間で、あまり好きも嫌いもありません。
さすがに直接的な危害を加えてくるような人は例外で、そういう人はもちろん好きではないけれど
それ以外の多くの人については特に好きでも嫌いでもないのです。

さて、前置きはこのぐらいにします。
今日は、とある人物を排除した理由について説明します。

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正確な時期は記憶していないけれど、
凡そ年末~年始あたりにTwitterのフォローおよびツイキャスのサポートを解除することにした、とある男についてです。

冒頭に断りを入れておきますが、記事を書くことで晒し者にするような意図はありません。
配信でリスナーに触れられて本件に触れる方が迷惑になると判断し、未然にそれを防ぐのが狙いでBlogを書く事にしました。これは自分なりの配慮。決別の意思表示も込めて。

さて中身に触れていくのだけれど、誤解されぬよう結論から言うと
今も昔も彼を嫌いになったことはなく、嫌いになったから排除したわけではない。
彼の名誉の為にも、この前提は明らかにしておこうと思います。
端的に言えば、
彼の事が嫌いになったのではなく、彼を見ていると嫌な気持ちになるので見えないようにした、というのが結論です。

名選手、名監督にあらず─
スポーツ界の格言。これにはいくつか理由があると言われているけれど、
監督として大成出来なかった現役時の名選手は
「デキる人」は「デキない人の気持ちが分からない」
という余りにもシンプルな構造を打破出来なかったからだと思っています。

本人は無能でもネームバリューで強豪クラブを任されて成功している風の指揮官はいるが、
そういう例外を除くとサッカーも野球も、現役時代の名選手が監督としても成功する場合は、相手の立場で物事を理解しようとする姿勢を持っている。とりわけサッカーを見ていると特にそう思う。

さあ本題に話を戻す。
自分が"デキる側の人間"だなんて当然に思わないが、
少なくとも"デキない人間"の気持ちを慮るようなことはしない。私はそんな思いやりのある人間ではない。デキない人間を見ているとイライラしてしまうのだ。
どうしてそんなことも出来ないのだと、次第に機嫌が悪くなっていくのが自分でも分かる。

彼を見ていて不快になっていく自分にふと気付き、慌ててフォローを外したんだっけか。確かそう。
ある意味で自己中心的な決断だったと思う。彼が変わってしまった訳ではないのだから。
出会ってからずっとあの調子で、いつも同じ失敗を繰り返してきた彼に対し、勝手に愛想を尽かして拒絶しているのだから、なんなら自分が自己中心的だったと言う方が正しいのかもしれない。
少なくとも彼の立場からはそう思えるだろう。だがこちらの想いはそうではない。

失敗することも失敗し続けることも構わない。それが悪いという話ではない。
変わろうとしないのも悪くない。褒められた話ではないものの、別に他人に迷惑を掛ける話ではないから。不幸になるのは勝手なのだから、一向に変わろうとしないことが悪いのではない。

では何が不快だったのか。
それは思ってもいないことを口にし、その都度悪びれる様子もなく前言撤回する様が、一種の様式美のような様が、実に不愉快極まりないからだ。

ある配信者と仲を深め、時に突き放され、その都度暴言を吐き決別する旨の宣言をし、そうかと思えばまたその配信者に縋り付き、そしてそのルーティーンが繰り返される。

或いは仕事に就かない自身の未来を案じ、憂い、働く趣旨の発言を残すも、結局大した行動も起こさずに、気付けば前言撤回し、悪びれるどころか開き直る有様。

一連の行動は我々に影響がない。だから多くの人間は彼を嘲笑して観察する。これは冒頭述べた他人への関心に関係すると思っているのだけれど、きっと彼のTwitterツイキャスを見ている層は、他人への関心度が強いのだろう。興味があるのだろう。或いは自分より位の低い人間を観察することで自我を保とうとしているのだろう。
私は違う。大して興味が無いから純粋な気持ちで不快と思ってしまう。
これがもし、地元の知人、会社の同僚だったら話は違う。自身に某かの影響が出るだろう事から意見するだろうし必要に応じて手を差し伸べるだろう。
けれど幸か不幸か、彼は私にとって赤の他人。助言することはないし、不快に思いたくないから見えないようにする。今回、その見えないようにするという物理的遮断をフォロー解除およびサポート解除で叶えたと、ただそれだけのこと。

いつだったか、1度だけ彼の配信でコラボに上がり意見したことがあった。
あの時は正しいことを述べ、正しく伝われば、正しく行動する人だと認識していたのかもしれない。残念ながら見る目が無かったという事なのだが。